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「久美沙織伝説」絵本の翻訳!(1998〜2002年)
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98年6月刊、拡大表紙画像にリンク |
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エイゴがさほどできるわけではないワタシがなんで絵本の翻訳なんかやっているのかというと、これまた、好きだと思ったものにはマメな性質のたまものである。
BL出版(当時はまだブックローン出版と名乗っていた)が出している、ガブリエル・バンサンというひとの絵本が好きで、はさみこまれてくるアンケートはがきに「いいっすねー」と書いて送ったんである。
ちなみにバンサンでいちばん有名なのは捨てイヌがさすらう文字のいっこもない絵本『アンジュール』。
そういう時にいちおー差出人の名前のとこにハタノのほうの(戸籍にあるほうの)名前ではなく「久美沙織」とさりげなくかいておくわけである。
したら、編集さんが「久美さんってあの久美さんですか」と手紙をくれたので「その久美さんですどーも」といって交流がはじまったのである。
最初は「バンサンの新刊でます」などの情報をもらえてればそれでよかったようなものだったんだが、気がついたらトツゼン「翻訳やりませんか」といわれてしまっていたのであった。
最初にやったのが『ヘイスタック』。作者のガイサート夫妻をわたしが(他の外国の絵本作家にくらべて)特に好きだったわけではないのだが、みてもらえばわかるようになにしろこの本ってば「ド田舎のウシとかブタとか飼ってる農家」の話なのである。ドラゴンファームとこっちとどっちがどういう順番だったかよく覚えていないのだが、ともあれ、日常生活からして、「こーゆーのにタブン詳しいだろう」と一種の専門家扱いしてもらってしまった(笑)のかもしれん。実は、農業器具の名前とか「定訳」がわかんなくてわりと苦労をした。というか…
…正直にいおう! わたしはエイゴができん。ていしゅのほうができるので(がいこくの鷹匠さんとネット上で連絡とったりするから日頃からつかってるし)ていしゅに全面チェックをしてもらってなんとかやりとげたのであった。
したら、同じ作者の本の翻訳がどんどん続いてきちゃうようになったのであった。
ちなみにガイサートさんの絵本には、まいど「ウォーリーをさがせ」みたいなとこがある。
つまり最後の一ページに「どこまで細かく見てたか復習」みたいなモンゴンがならぶんである。大きな声ではいえないがこれが迷惑きわまりない。
「島犬はこどもたちと楽しく遊んでいましたがそのうちすみかが流されてしまいましたね」(←いまとっさのでっちあげなので信じないように)みたいな。
いうとくが、わたしが(ていしゅが)訳すまではもちろんエーゴでかいてあるんである(笑)。
すると「ええっ、しまいぬってなーいったいなんだ? そんなのいたか?」「ひょっとしてアイランド・ドッグっていう犬種があるんじゃないのか?」「俗語じゃないか?」などなど、翻訳者はすこぶる悩むことになるのである。全部のページのこまかな絵をすみからすみまで指でおさえながら確認して、犬がいないか探したりする。ようやく、川の中州のツリーハウスをねじろにしている野良犬らしいのを発見して「たぶんこいつのことだろう!」と思うのだが、それでもいまいち確信がもてないと、担当に「これ、あんまり自信ないんだけど」と言い訳をしながら翻訳文を提出し、どーしてもどーしてもわかんない時には原作者さまに「どういう意味か」きいてもらったりする。
コブタを数えての時だったかなぁ、「ネズミが全部で何匹でてくる」とかってあったのだが、いくら数えても二匹足りない。みつからないんである。担当にはもちろん、ていしゅにも、気の毒にもたまたまその時いてつかまってしまったていしゅの両親にも一緒に数えてもらったのだが、どーしてもみつからない。降参した。作者に連絡をとってもらって、ほんとにこんだけいるんすかー? ときいてもらった。二週間ぐらいたって返事がきた。「これとこれもちゃんとネズミやんかっ!」と教えてもらったネズミちゃんは、「ページのさかいめ」でしかも「下半身」だけ(上半身はドカンかなにかに隠れていた)とかだった。いまでもあれは、そういわれないとネズミには見えないと思う。こういうのも翻訳のしごとのうちなのかどうかはなはだギモンであるのだが、まちがった文章をかいておいて読者に「みつからないやんか!」とつっこまれると困る。いや困るのはたぶん担当であってわたしではないのだが。のちに、あの瀬名秀明さんから「あのローマ字をコブタで数えるホン、おもしろかったですねー! ああいうのダイスキなんですよ」と言っていただけて世の中には奇矯ないや奇特なひとがいるん
だなぁと思ったのであった。きっとコドモさんはとても熱心に数えたり確認したりするだろうから、コドモの熱心さでもってこっちも確認したりしなきゃならんのであるとキモに命じた。コドモになりきれない気分の時にこれをやろうとするととても難しい。 |
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そのような点を別にすると、絵本は、わたしのような「ちょっと難しい単語は辞書をひかないとまるでわからない」「ちょっとややこしい構文は読めない」やつにでも、となりあえずはなんとか読めるありがたいものである。なんつったって訳さなきゃならない文章の絶対量が少ないし。
ただ、それだけに、「キメ」のことばがみつからない時にはとても困る。長くかいていいのならダラダラ説明もできるのだが。
はたまた、こども向けが前提なので、難しいコトバや漢字はなるべく使うなという暗黙の了解があるのだが、漢字になっていれば意味がわかるのに音だけだとなんのこっちゃ……なことって日本語には多々あるでしょう? そういうのをわたしは「ルビつけてでも広く通用している漢字で出したい」ほうなので、おりおり担当と対立する(ちなみにいまの担当さんでたしか三代目だと思うのだが、みんな若い女性だった。BLは神戸にあるので、電話だと、のほほんとした関西弁で応対してもらえる。神戸といえばノリカ。京都や大阪よりもさらに「国際的」で、どことなくバタくさく、美しい女性が多い。BLでもフェリシモでもあったことがあるひとはみな美しくて気品があった。しかも、BLのバアイ、みんなわたしよりずっとずっとエイゴができる……はっきりいってこんなやつを使うよりご自分で訳されたほうがテマが省けるんじゃないかとしょっちゅう思う)。
こないだは「塩化カルシウム」を出すか出さないかがモメた。寒冷地のひとはご存知だと思うが道路が凍結した時タイヤがスリップしないようにまくいわゆる「シオ」はこれである。実はエイゴの原作も「そると」であった。でもシオってなまじいうとふつうは「食塩」だと思うやんか。ほかのもんもあるかもしれないなんて想像もしないよね。で、塩化ナトリウムのほうじゃと誤解しかねない。寒くない地方のコドモさんは一生ホンモノを見ないかもしれなくて、ずーっと誤解したまま過ごすのかと思うといやで、「エンカル」は「エンカル」なんだと、こどもむきだからこそ正しいことを言っておきたいと言い張ったわたしであった。
こないだ、安曇野の絵本美術館まで「ゾーヴァ」の原画をみにいった。
そう、ドラファに名前の出てくるあのゾーヴァである。『アメリ』の美術監督だかなんだかもやってるらしい。ガブリエル・バンサン、エロール・ル・カイン、ディヴィッド・ウィーズナーに続いて「こりゃあ好きだ!」と思えた久々のエカキさんなのであった。なかなかすてきな美術館だったっすよ。場所わかりにくくてみつけにくかったけど、そこもまた「隠れ家」調で。ご夫婦が自宅のとなりにたててやってる、みたいなこぢんまり感もナイス。驚いたことに、あっしらがいったのは平日やのに、あっしらがいた小一時間のあいだにあっしら以外にも「二組」も来館者があった。家族づれと、幼稚園のセンセイじゃないかと思われる女の子三人組と。いやーみんなあんな「あなば」みたいなとこよくみつけていくっすねー。
でもってそこのバイテンで、好きなウィーズナーの『三匹のこぶた』をみつけたわたしは、BLに「翻訳させてー」と連絡をしたのだが「江国香織さんがもうおやりになっていていまゲラが出てくるあたりです」ちくしょー。ウィーズナーの『夜が来るまでは』とか『あらし』もカノジョにとられてしまっているのであった(でもきっと江国さんのほうがふぁんのひとたちも喜ぶよな……)。で、他にやりたいのないですかと聞かれたので、やっぱり原作をみてかわいくてかった『SMUDGE』というのを聞いてみたら、講談社から二年前にもう出ていたって……
ぐっすん。
だから、ワイマラナ犬が演ずる『あかずきんちゃん』(あかずきんはもちろん、おばーさんも、おおかみ! も、猟師さんも、みんなワイマラナ犬が、それらしい衣装とかをつけて、表情もつけて? やっている)あれをやろーったらーーー! 前にいってみたらBLは「かわいくない」「なめねこじゃあるまいし」「日本人に特にコドモにうけない」といってやりたがらないのよ。いまどき絵本はコドモよりオトナの女性じゃないかしらん。もういっかい聞いてみるかなぁ。 |
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