2008年1月分
 
 早や2008年、
 今年もファンクラブをよろしくお願い致します。
●1月1日(火)
 例年通り三重松阪での新年。
 寒風の中、初詣に出かけるが、近場の社寺はどこも閑散としている。世の中、変ったなぁという感じである。
●1月2日(水)
 夕刻、京都へ。久々に先斗町のバー・クラブデゼールへ。昨年、休みの日に出向いて店じまいと早とちりしてしまったのだが、マスター原野さんは健在。ポートワイン(WARRE'S1970)、ジョニ黒(60年代もの)、コニャック(Prince Hubert de POLIGNAG Dynastie 1970年代ものの熟成70年)など、おそらく日本のどこのバーに行っても飲めない美酒に酔いしれる。「京都ロイヤルホテル」泊。
●1月3日(木)
 芦屋に帰ってくる。
●1月4日(金)
 長編、2章まで来てどうもしっくりこない。構想練り直し。
●1月5日(土)
 ヘアカット。また青にマニキュア。
●1月6日(日)
 今年初めての休肝日。
●1月9日(水)
 会議のため朝から出校。これから入試シーズン、気が重いことである。
●1月10日(木)
 長編、進まず。気分転換にヴァイオリンの練習。
●1月11日(金)
 「時間はどこで生まれるのか」8刷が決定。
●1月12日(土)
 強風のため玄関前の植木鉢が倒れて割れる。
 新春の「のだめカンタービレ」のビデオ録画をうっかり消去してしまって、連れ合いがぷんぷん。どうも風向きが悪い。
●1月15日(火)
 センター試験の準備に出校。
●1月16日(水)
 朝、積雪1センチ。
●1月17日(木)
 今朝もうっすら積雪。阪神大震災から13年。容赦なく年は過ぎ去り、考えられないような年齢になっている。ああ。早く長編執筆を再開しなくては。
 幼馴染みの研ちゃんが、「のだめ」のビデオテープを送ってくれる。
●1月18日(金)
 センター試験に備えて、大学近くのホテルに泊。これからまるまる48時間、人生不毛の時である。
●1月19日(土)
 センター試験初日。なんとか無事終了も達成感なし。うんざりである。ふたたびホテル泊。
●1月20日(日)
 センター試験2日目もなんとか終了。答案を送り出しても喜びなし。うんざりである。
 帰路、自宅に近づくと猛烈な吹雪。道路は凍結。スタッドレスなのでなんとか動くが、ふらふらと危なっかしい。途中の坂道に、ベンツやJAFのトラックなど賑やかに放置されている。JAFが立ち往生とは絵にならないなぁ。しかし写真を撮る余裕などなし。自宅直前でついにスリップして坂を登れなくなってしまった。そのままバックでとって返し、別ルートでなんとか生還。とんでもない1日であった。風呂に入りビールを飲み、寝る。
●1月21日(月)
 15センチ程度の積雪。バスはチェーンを着けて動いている。授業があるのだがとても出校する気になれず。休講連絡。
●1月22日(火)
 道路の雪はほぼ溶け、早朝より車で出校。会議もあって午後6時まで。やれやれ。
 wowow録画「プラダを着た悪魔」見る。
●1月24日(木)
 気温下がり、再び雪。
 入試準備などのため出校。連れ合いより、ガスが点かないとの電話。帰路、芦屋大丸でお惣菜など買って帰るが、ガス屋さんが来て、何とか直してくれたようでほっとする。やれやれ。
●1月25日(金)
 賓客来駕。黒番、ほとんど勝っていたのだが、土壇場で大石が死んで中押し負け。
●1月26日(土)
 入試のため早朝より出校。
●1月27日(日)
 入試のため早朝より出校。これで、先週のセンター試験から連続2週、土日出勤である。やってられないなぁ。実質終了を待ってすぐに茨木へ。
 茨木市民会館で、市制60周年記念の演奏会。「松下真一作曲 交響幻想曲'淀川'」。指揮は堤俊作(外野からは異論があるかも知れないが、これは茨木市民にとっては必然なのである)。会場は超満員、松下真一さんの年譜や写真などが掲示され、2004年の相愛オーケストラの「淀川」演奏のCDも配布され、松下さんは地元の名士である。晩年、ぼくがおつき合いさせて頂いた松下さんのイメージとは随分違っていた。ローカルとはいえ、没後18年たってこれだけの人気を考えれば、十分に報われた人生だったのではないだろうか。
 ところで、この演奏会を聴きに行った目的は、もちろん松下真一さんの曲を聴きたかったからにほかならない(2004年のわが職場、相愛の演奏会は残念なことに行けなかった)。しかし、それ以上の理由もある。ぼくも茨木出身だからである。堤俊作とは同年である。向こうは覚えていないだろうが、小学校の頃、ヴァイオリン教室で一緒だった。
 茨木には悪友がいる。研ちゃんもその一人。あとO君もまじえ、演奏会の後、研ちゃん行きつけの蕎麦屋「東風」で飲む。O君の父上は、松下真一さんを交えたサロンを主催していたそうだ。ぼくが松下さんと出会ったのは東京の出版社時代だから、不思議な縁である。
 ぼくは茨木で生れ、家は借家に12年、学校は高校まで茨木だったが、正直いって馴染めない街だった。家の後ろの田圃が、小学校の頃、風呂屋と酒屋になった。母の使いで酒屋によく出かけたが、カウンターで昼間から男たちが焼酎を飲んでいた。それだけのことで、刃傷沙汰があった訳でもないが、後年、映画シェーンで少年ジョーイが使いにいく酒場が、それに重なった。
 ぼくが、屋台の飲み屋を避けて、高級レストランを志向する理由はここにある。野村監督の成金趣味と同じレベルだと思うが、屋台の飲み屋で飲むのに全然異存はないが、金があるのに何で屋台に行かねばならぬのかと思ってしまうのである。ぼくはあの茨木の場末から早く抜け出したかった。それがぼくの人生の原動力だったのだと思う。
 しかし、今日はこうして茨木に戻ってきてしまった。歳なのだろうか。
 それにしても、茨木市民会館でクラシックの演奏会とはなぁ。ぼくの子供時代を考えれば、信じられないことである。
●1月28日(月)
 久し振りに酒飲まず。
●1月29日(火)
 ガス屋さん、大阪ガス、松下電器の技術者などが衣類乾燥機の誤作動調査のためものものしく来。ようやく原因が突き止められる。それによると、乾燥機とエレベータのアースが共用されており、そこからノイズを拾うらしい。対策は、どちらかの機器のアースを別回線にすることだそうだ。何だが大変なことだなぁ。
 夕刻、東進タイムズの電話取材。
●1月30日(水)
 アマゾンの「時間はどこで生まれるのか」の書評を久し振りで覗くと、あの誹謗中傷の3件のメッセージは削除されていた。その後、星5つの書評もあり、いいところに落ち着いたようだ。おそらく良識ある人の働きがあったのだろう。もし、この日記を読まれていたら、まことにありがとうございました。感謝申し上げます。
●1月31日(木)
 長編、ようやく執筆再開にこぎ着ける。
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