西島三重子FanClub 「風」物語
第10話 復活の兆しが〜HPの開設



 97年3月のある日、岡山の会員・雀部陽一郎さんから電話があった。今
度、みーちゃんのホームページ(以下HP)を開設しようと思っているがどうだ
ろうか、と。
 私は驚いた。同時に嬉しかった。これからは、いずれインターネットが仕事
や生活の場においても、ごくごく一般的になると予測されるからだ。
 だが、パソコンの普及率は、会社は別として、家庭ではまだまだ低いし、
それに会員でインターネットをやるのはおそらく限られた人だろう。まだちょっ
と時期早尚かなとも思った。とりあえず、HPのトップメニューに載せる写真を
頼まれたので後日送ることにした。
 雀部さんの作ったHPは見事なもので、仕事中、会社のパソコンでアクセス
し、談話室を覗き見しては、ほくそえんだものだ。パソコンは自分の机ではな
い共有のテーブルにあるし、業務の文書の画面を見る訳でもないので、何を
しているか見られないよう左右と背中の視線を気にしつつマウスを動かすの
だ。何しろ、ヒヤヒヤしながらなので、これはもうアクセスというよりアクセクだ
った(?)。
 このHPについて、当初は時期早尚と思ったが、それは会員という枠にとら
われた狭い考えだった。というのは、アクセスして談話室にメッセージを載せ
るのが、お知らせを出した会員だけでなく、全く見ず知らずの方々なのだ。こ
れには驚き桃の木20世紀(?)である。
 そして、何とHPは新会員を増やすきっかけをもたらしたのだ。
 インターネットは、というよりHPには不特定多数の人が、どこかで、いつもア
クセスしている。そんななか偶然みーちゃんのHPを見つけて、ファンクラブの
存在を知り「風」会員になられた人がすでに16人に達しているのだ。インター
ネット(通信)というものの威力をまざまざと感じさせられる。
 同時に、改めて認識させられた点は、数は少ないかもしれないが、全国に
みーちゃんのファンが確実に潜在しているということだ(これがわかった点に
ついても雀部さんの貢献大であり、大いに感謝しています)。

 さて、みーちゃんだが、96年7月、初のエッセイ本『ヤクシ団欒物語』を出版
した。これは生まれてから現在までの人生を振り返った自叙伝ともいうべきも
ので、特に都会では失われつつある、大家族だったころの生活を恬淡に描い
ていて得難い。
 続いて、次々と活動を再開した。
 97年2月23日、府中ルミエールでのデュークエイセスのコンサートに出演。
 同年秋、憂歌団の木村充揮(あつき)氏のアルバムにデュエットとして参加。
9月27日、吉祥寺・スターパインズカフェでの同氏のライブにゲスト出演。
 また、同年、主に北海道で音楽活動している福沢恵介氏とのデュエットアル
バムを発表。新作を3曲書く。このCDには数曲、ワーナーパイオニア、テイチ
ク時代に名コンビを組んだ、あの門谷憲二氏との結実がある。福沢氏とのデ
ィナーショー、ラジオ番組にも出演した。
 さらに、同12月23日、千葉県企業庁主催のクリスマス・イベントに出演。ク
リスマスソングを歌い、自作の童話も朗読。
 もちろん、これらのみーちゃんの活動がマネージャー河野さんのたゆまぬ
営業活動の賜であることは確かだ。
 これらのみーちゃんの活動に比例して、FC事務局の仕事も増えていった。
 
最終回 不死鳥みーちゃん、さらなる飛躍へ

 98年11月,ついに、みーちゃん、ファンともに念願だったオリジナルCDア
ルバムがメディアリングから出た。10年ぶりの快挙だった。
 実は、97年9月、木村充揮氏のライブにゲスト出演した際、我々はみーち
ゃんと話す機会があった。そこで、「今、CDの制作に取りかかっているところ
よ」と聞かされた。だが、正直言って、その時は半信半疑だった。
 後日、マネージャーの河野さんに、このCD発売の件をぶつけてみたら、あ
っさり否定されてしまった。やはり、ダメなのかと落胆した。
 ところが、98年の夏、事務局宛にみーちゃんから手紙が届いた。文面には、
11月1日に久々にCDを発表することが正式に決定しました、とあったのだ。
それに合わせてライブも行うという。やったぁ!。これはビッグニュースだった。
さっそく、会員にお知らせを出したのは言うまでもない。
 このCD発売が実現した背景には、ワーナーパイオニア時代の仕事仲間や
友達の協力があったとのことだった。
 このCDの制作・発売には河野さんが手腕を発揮し、プロモーションとして新
聞・雑誌社、ラジオ局等に働きかけ精力的に動いてくれたおかげで、みーちゃ
んがマスコミに登場する機会も増え、我々もうれしい忙しさになった。
 そして、CD発売後、初めてのライブが99年1月26日、南青山・MANDALAで
行われた。ライブなんて本当に久しぶりだ。この日を待ちに待ったファンがどっ
と押し寄せた(待ちすぎて首がキリンより長くなってしまった人はいない)。チケ
ットは売り切れたが、一縷の望みをもって当日外に並んだ人もいた(私もその
一人だった)。店長の計らいで何とか全員入れた。結果、会場は立ち見客が
出るほどの超満員となった。
 みーちゃんは思う存分歌った。会場を埋めつくしたファンは、その歌に思う存
分酔った。
 私は安堵した。やはり、みーちゃんは不死鳥だった、と。
                            (おわり)
あとがき


 ご愛読ありがとうございました。
 今振り返れば、14年前に縁あってファンクラブの運営に携わることになり、
それから来し方いろいろな方々と交流がありましたが、そのメンバーの中で
も一番やる気のなかった私が、皮肉にも一番長く居座っているとは予想だに
しませんでした。
 ファン自ら運営するFC結成時から、常に不安定で、薄氷を踏むような状態
の連続でしたが、細く長く続けてこれたのは、やはり、みーちゃんの歌を愛
する方々の暖かいご声援があったからこそだと思います。
 今後は、どんな展開になるのか見当もつきませんが、みーちゃんとともに
「風」は現在進行中です……。

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